
LIFEism vol.1 『 庭師 牧岡 一生 』
『 現地の石や植物、土を生かした妥協しない丁寧な庭作り 』
奈良を拠点に作庭家・庭師として活動する牧岡一生さん。
庭師を志したきっかけや仕事に対するこだわり、最近のライフスタイルを聞きました。

長年継承されてきた技術と緻密な計算、そして豊かな感性で優美な日本庭園を作り出す庭師。
牧岡さんが庭師の道に入ったのは意外にも遅かった。
「休日に京都の光悦寺を訪れ、働く職人さんたちの手さばきを見たのがきっかけです。
25歳の時に脱サラして街の植木屋で働きましたが、仕事内容が光悦寺とは程遠く、困ったなあと。
そんな時に、森先生作の茶室露地を見せてもらい『こんなに小さな場所でも京風の庭が作れるのか』と心を奪われ『この人のもとで庭師になろう』と決意しました」。

人工美を主体とする西洋庭園とは対照的な、ありのままの自然を生かした日本庭園は、いまや世界的にも評価が高い。
海外で日本庭園を作る場合、すべての材料を船で日本から運ぶことが多いが、牧岡さんは石や植物、土まですべて現地で調達してきたという。
「丘が連なるヨーロッパで、毎回苦労しながら石を探し出していました。そして、その土地にある材料で日本の雰囲気を作り出すというスタンスを大切に守ってきました。そうすることで、庭もその土地の風景に溶け込むと考えるからです」。

牧岡さんの作庭へのこだわりは設計時から表れている。
庭の知識がない人でも完成形を想像しやすいよう、詳細な模型を作り写真を撮って発注元に送るのだ。
「例えば池庭なら作った模型に水を張り、水面に映る木々の影までも再現します。熱くならないといいものはできない。常にそう考えています」。
現地の素材で作った庭を、手入れをしながら守っていく庭師としての牧岡さんの仕事スタイル。

作業中は地下足袋だが、休日はスニーカーを愛用しているという牧岡さん。
「歳を取ると同じ靴でも以前は痛くなかった場所が痛むことがあって困っているんです。richeの靴は革が柔らかなためか足にフィットし、とても軽い。
また、板張りの事務所は冬になると足先まで冷えを感じてしまうのですが、靴が私の足を暖かく包んでくれました」。
年齢と共に積み重ねてきた技術で造られた美しい日本庭園の数々はこれからも観る人々の心を浄化し続けていく。

牧岡 一生
1945年福井生まれ。
1975年より12年間、日本庭園史学者の森蘊(もり・おさむ)氏に師事。
ヨーロッパ各地でも日本庭園を設計・施工し、現在は国指定名勝の依水園の管理など、奈良を拠点に活動する。
経 歴
1999 トラウトマンスドルフ植物園 日本庭園(イタリア・メラノ)
2002 ガルデニア=ヘルシンキ 天平の庭(フィンランド)
2007 モンベルアメリカ・ボルダー店 モニュメント(アメリカ)
2012 モンベル本社ビル屋上庭園
返り龍の石組オブジェ(大阪市)など